○塚田吉昭「せんねんやうなぎ」いつも奇妙な小説をみせてくれる塚田氏だが、今回はうなぎを使って読者をひきずりまわす。
後藤が来るはずだと妻がいうが、わたしの友人にはふたりの後藤がいて、どちらなのか分からない。寺の和尚と待って
いると後藤の変わりに「せんねんや」からウナギが四人前届く。和尚、わたし、妻と後藤の分だと思うのだが、後藤は現れない。
後藤を待つ三人三様の後藤の記憶がかみ合わないまま、毎日ウナギだけが届くが後藤は現れない。
○斉藤勲「清流」かなりの長さの小説。書きたいことを全部盛り込んだ感じ。読み終わって強く心に残るのは、一人の男の
徹底した孤独。しかも自らに課した孤独の姿。かれは妻との短い結婚にピリオドをうつと、安定した生活は求めず、
半年働いたら半年は自由に暮らすという生活を続けている。そういう生活の中で同人雑誌に入り小説を書き始める。この主人公
の生活ぶりも自由勝手だが、小説の書き方も自由勝手だ。それでいて読後に痛烈に残る何かがある。
( 2003年7月)今回取り上げたのは
「小説家」113号
2003年8月刊
東京都
○関谷雄孝「西日の情景」作者がこのところ一貫して書き続けている戦中戦後。今回は東京大空襲の頃受験を目指していた少年の周囲の情景が鮮やかに描き出されている。空襲で一瞬にして消えた街。疎開、終戦の玉音放送。戦後東京に戻って、高円寺のアパートでの一人暮らし。そこで隣人になった米軍相手の売春婦の息子は、主人公よりいくつか年下だが、自分の父がゼロ戦に乗って戦死したことを誇りに思っている。売春婦の母は、主人公に自分は不発弾処理係の米兵と打ち合わせるために、ときどき会っているのだとみえみえの嘘をついている。気丈な主人公の母は、戦災で焼けた薬局を再開し商売を軌道に乗せるためにうごきまわっている。ある日尋ねてきた主人公の友人が、空襲で逃げる途中祖母を知らないうちに置き去りにしてしなせてしまったことを告白する。こうしたひとつひとつの挿話の積み上げが、全体としてあの時代をくっきりと浮かび上がらせ、あの時代がどんな時代だったのかを改めて思い出させ、あの時代を知らない人たちに伝えている。
○佐藤睦子「キャットテール」10ページに満たない短編。ある日の夕暮れ時、麻子はブーケを買った。それは赤い猫じゃらしに似た花が使われていたからだった。猫じゃらしのブーケには一つの苦い記憶があった。同期で入った同年のM子が、それと気づかないうちに先輩のKと婚約し結婚してしまう。Kはかねてから仕事の上では麻子を重んじる態度を見せていたし麻子自身もM子より自分の方が仕事をうまくこなしている自信があった。結婚式の日、麻子はM子からブーケを皆の前で贈られる。新婦のブーケをもらった人は、必ず良縁に巡りあえるのだといわれ、かえって麻子は反発を強めた。こんど買った猫じゃらしに似たブーケ、実は猫じゃらしではなくキャットテールという花だった。とんでもない思い違いに気づいた麻子は、ここ数年の自分のこだわりを捨てる決心をする。
○石井利秋「しし座流星群」房夫は内心ちょっと億劫に思いながら二十五年ぶりの中学校のクラス会に出席する。そこで花恵に再会する。房夫は二年前に離婚しているが、花恵も夫と死別していることを知る。房夫はあのころひそかに花恵に思いを寄せており、花恵もそのような気配だった。別の高校に入ってからも米の配達を口実にときどき花恵がやってきた。ある日しし座流星群を夜中に二人で見に行く約束をするが、雨ではたせなかったことなどを思い出している。クラス会のあと何日かして二人は花恵の住む町で会う。花恵は昨年しし座流星群を見たという。花恵もあのときのことを覚えていたことを知った房夫は、もう一度今年花恵と、しし座流星群を見ることができないだろうかと考える。
「カプリチオ」17号
2003年4月刊
東京都
○関谷雄孝「平成海軍落下傘部隊」主人公の医師はたまたま自宅の近くで自転車の男が車に追突されるのを目撃した。自転車の男は空中に投げ出されたがそのまま巧みな身のこなしで着地する。後日この男が医師の所に治療にくる。着地は成功したが、着地の衝撃で足を痛めていた。なぜあのようにうまく着地できたのかとの問いかけに、男は戦争中に海軍落下傘部隊の生き残りだったことを話す。やがて親しくなった医師は男から当時の落下傘部隊の悲惨な実情を聞く。そこに登場する三人の男たちはそれぞれ異なる職業をもって戦後を生き抜いてきたものの、いまだに当時の傷跡から自由になれないでいる。この三人の男たちのが、天使の刺青のある元ストリッパーを中心に行う戦友への鎮魂の儀式は、一見奇妙でありながら未だ癒されることのない彼らの傷の深さを物語っている。
○木井智草「青蜥蜴」男から屋上の物干場で突然話しかけられる。絵描きへの夢を突然の発病で失ったこの男は、病院の中のことを何でも嗅ぎつける。男は主人公の「私」が三日前に叔父と名乗って現れたかつて恋人大塚の誘いに乗って外出したことを見破っていた。大塚は十九のとき自殺をしようとして失敗した「私」を立ち直らせてくれ、いままた結婚生活に半ば行き詰まって病を得た「私」を励まして帰っていったものの、そのあとの「私」は逆に不眠をつのらせている。男はいう。「ねえアンタ、おれの絵のモデルになってもらえんだろうか、羅の着物を着た女のふくらはぎを、さっきの青蜥蜴がまっしぐらに、白い太股に向かって這い上がっていく。誰も描かなかった凄い絵が描けそうな気がしてきた」
「小説家」112号
2003年4月刊
東京都
○類ちゑ子「プラム畑のテリトリー」プラム畑のそばに住む「私」が長年飼ってきた犬が、「私」の腕の中で死んだ。そのあと、プラム畑に野良猫が姿を現すようになる。やがて気をゆるした猫は「私」から餌をもらうようになる。一方「私」は散歩の途中で子猫を拾ってくる。子猫にはきょうだいがいたが、もらって育ててくれていると思った「私」の幼なじみは、はじめから育てる気はなく「私」から受け取るとすぐ捨ててしまったことをあとで知る。一方プラム畑に現れる何匹かの野良猫、飼い猫、飼い猫のきょうだいの雌の野良猫。子猫とともに何か放しながら餌を食べる家族、身重の妻に与えるためにもっとくれとせがむ雄猫。雄同士の血まみれの勢力争いなど、さまざまな猫の生態がまるで人間の社会の縮図を見るように鮮やかに描かれている。そして最後に、人間のまいた毒餌で猫たちが死んでいくあたりは、人間の身勝手さを強烈に訴えてくる。猫を中心に、それを暖かく見守る「私」の視線が感動的であった。
○秋月ひろ子「切れた鎖」一人の男が病院で息を引きとった。死んだ男は、集まってきた家族を見ながら自分の人生を回顧する。死んだ男によって語られる彼の生涯はまことに波乱に富んでいる。最初の記憶はようやく物心ついた頃の関東大震災。しっかりものの祖母の死後重しがとれたように飲んだくれになって家計を省みなくなった父。まずしい少年時代。家族のために進学をあきらめて、板前奉公。戦後結婚。ようやく板前としてじりつしたものの娘の発病。貧しさはつづく。若い頃は親兄弟のために働き、その後は子供のために働き、俺の一生は他人のためだけにあるのか。もう嫌だ。そうは言っても女房子供を路頭に迷わせるようなこともできない。そう思いつつ、いつか父親のように飲んだくれていく。いま病を得て死んだ男はようやく肉親とのつながりという鎖を断ち切ることができたが、そのことが言いしれない寂しさにもつながっていた。
○刺賀秀子「八月」終戦から三年経った炭坑の事務所。外地で企業を経営していた父も、きびしい引き上げを体験したあと元気がない。伸子は大学進学をめざして勉強をしていたが、二次試験の前夜に父から進学をあきらめるよう言われる。あまり心にそまない炭坑事務所での勤務。そんなある日急に事務所が慌ただしさにつつまれ、伸子は同僚のさち子とGHQの軍人の接待に行くように言われる。恐れ躊躇いながら接待の席に出た二人は、思いがけなく紳士的な米軍人の前で歌をうたい、いつかほのぼのとした夢のような満足感を覚えて帰ってくる。翌日、別の軍人が会社に来た。今度の軍人はかなりきびしい。実はこの炭坑で働いている青年が、戦争中に捕虜を虐待したのではないかという疑いがかけられていた。青年は坑道から呼ばれるとそのまま釈明の機会もも与えられず、家族に会うことも許されないまま、ジープで連れ去られる。昨日米軍人の前で甘味な夢を見た自分はいま連れ去られていった青年に対して罪を犯したんだと思った。
( 2002年12月)今回取り上げたのは
「カプリチオ」16号
2003年1月刊
東京都
○宇佐美宏子「ストリッパー」三つの章に分かれている。「橋を渡ると」は第二次大戦最末期の七月。地方都市が片端から空襲を受けた年だが、主人公の瑠璃子という少女は四国徳島を焼け出されて、母とともに橋を渡ったところにある村に疎開する。川を渡ったところとは焼き場のあるところで、いつも人を焼く臭いが漂っている。そこは軍隊に行っている瑠璃子の父の部下の家だ。そこで同い年で焼き場の娘の小夜と友達になる。一度小夜の家に呼ばれていく。小夜は祖父と瑠璃子の前で裸で踊る。驚いてみていた瑠璃子のなかに不思議な気持ちが湧いてくる。自分が習っていた日本舞踊をこの場で裸で踊りたい。「パラダイス」こちらは主人公は「私」になっている。あるいは瑠璃子の成人した姿かもしれない。必ずしも仕合わせともみえない夫婦。ルナを生んだ時、やってきた夫の竜次に名前を付けてと頼むと「おまえが好きにつけたらいいさ、俺には関係ない」といわれる。竜次は流行の雑誌のスター映画の新人オーディションにも受かった男で、私が押し掛けて同棲した男だったが、賭け事にのめり込んで私がその尻ぬぐいをさせられる毎日になっている。銀座のクラブからやがて場末のストリップ小屋へと移っていく。妊娠した後も踊り続け、どうしても生みたくてルナを生んだ。竜次はルナの出生届と婚姻届をもって役場に行ったきり帰ってこない。「刺青心中」は夜が明けようとする時、ベンツに乗って「私」は警察に呼ばれてある男の遺体を確認に行く。その男とは六年間生活を共にし二十数年前に別れてそれっきりの間柄だ。あるいはこの男は「パラダイス」の竜次のようでもある。車ごと海に飛び込んだ男は裸だった。男の足の付け根に緋牡丹の刺青があった。同じ場所に私も同じ刺青をして舞台に立っていたことがあった。きっと男はこれを私に見せるために衣服を脱いで飛び込んだのだと「私」は考える。
「小説家」111号
2002年12月刊
発行所国分寺市
○印内美和子「泣く子」公営プールで事務員をしているわたしは、三つくらいの男の子に特別関心がある。このくらいの男の子はぽちゃぽちゃと太っている方がいいと考えている。ある日、三つになる男の子が姉と一緒に父親に連れてこられるが、どうしてもプールに入らない。父と姉は男の子を残したままプールに行ってしまう。取り残された男の子はなぜか大泣きをして泣きやまない。父親はいつものことだからと、見にも来ない。わたしにも、かつて男の子がいたが、水の事故で亡くしている。あのときやはり息子は大泣きをした。「子供が異常に泣く時は、何かが起こる、または、起こりつつあるのだ。子供は何かの予兆のように泣く。」この子がその日いつの間にかいなくなる。わたしは自分の子が亡くなったときの情景と重ね合わせて考えている。この部分のひねりがまことに興味深かった。
○漆原暁子「土踏まず」妻のさえ子がこのごろフィットネス・クラブに熱心に通い始めしだいにすっきりした体型に変わっていく。夫の周介は贅肉をそぎおとした今のさえ子より、たっぷりした肉付きをしていた以前のさえ子を限りなく好んでいる。この前半部分の日常の描写は、独特のしゃれた雰囲気をただよわしている。やがてこの夫婦がかつて障害を持って生まれた子を亡くした経験が語られると、急にこの一見気楽な夫婦が背負っている重いものが前面に現れてくる。前半部分での、夫婦がそれぞれ違った好みをもったまま仲良く暮らしているさまは、実は子を亡くした後、苦しみを耐えるそれぞれの姿、それぞれの生き方でもあった。
○鈴木重生「空観先生百華翁」大学を定年で退いた正人は次第に故郷の鈴鹿へと思いが傾いていく。この日正人は、先祖が住んでいたあたりに仕事部屋を探しがてら、かねてから気に掛かっていた四代前の空観という人物をもう少し詳しく調べたいと思って、鈴鹿へ向かう。正人自身は最近の日本の政治的な空気が、気になってならない。それは、彼の少年時代の軍国主義華やかな時代の苦い思い出をよびさましている。その記憶はやがて自分の早くに死んだ父の生き方、さらに明治時代に政界で活躍した祖父へとさかのぼりながら、空観の生き方の探索へとつながっていく。これを読んだ人のなかに、これは四代にわたる正人一族の憂国の記録でもあるといった人がいたが、まさに四代にわたる知識人の時代に対する危機感、それにどう対処したかの記録にもなっている、一方小説的な興味はこの空観が、実は幕末の時代にあって殿様が思いをかけた女性と結ばれ、あやうくお手討ちをまぬがれたものの蟄居を余儀なくされる話。古文書からうかがわれる空観とこの女性との関わり、人間像。それと、もう一つはこの作者がときどき試みる現実と非現実の狭間の描写なども見逃せない。
( 2002年6月)今回取り上げたのは
「全作家」55号
20021年7月刊
発行所全国同人雑誌作家協会・草加市
○桂城和子「狐火」特別な筋があるわけではないが、ちょっと奇妙なところのある小説。主人公保子は知り合ったばかりの友人が、 あるマンションの一室でシャンソンのリサイタルをやるというので行ってみる。 そこにいる人物たちは、保子をはじめとして、みなどこか妙な雰囲気をもっていて、 このマンションのリサイタル会場という舞台とうまく合っている。この小説の見所は、 たぶんこの集まりの中にいる、奇妙な感覚を持った人物保子の細部を玩賞することだろう。 やがて保子の全容がはっきりしてくる。夫の突然の死によって、金と時間を手にした保子。 夫が生きていた頃、死んだ後。それぞれの生活が面白く書きわけられている。夫がいたときは酒。 死んだ後はたばこ。この酒からたばこへの変化は、夫の死で生活ががらりと変わってしまったことの、 比喩とも象徴ともとれる。なにか生活そのものが地につかないまま、漂っているような 保子の姿が「狐火」という題に集約されているようでもある。いつもながら達者な筆遣いである。
「小説家」109号
2002年4月刊
発行所国分寺市
この号は、「富士正晴全国同人雑誌賞」受賞記念号となっており、同人三人の小説と、 この雑誌の主催者であった故辻史郎の代表作の一つといわれる「すばらしき休日」を 本誌11号から再録している。またエッセー欄には受賞に当たっての感想などを 石井利秋、鈴木重生、印内美和子、隈部京子、結城五郎が載せている。
○関谷雄孝の「三つの鎮魂曲」は第二次大戦中の片隅で起こった、まことに不条理な 死をピックアップして見せている。戦後50年あまりになるが、その間世界のどこかで いつも戦闘があった。いまも続いていることをあらためて考えさせられた。
ひとつ目「熱い窪」はじめて敵前上陸に参加した兵士が、古参兵の戦場での知恵で、 猛烈な曲射砲の砲撃を巧みにかいくぐっていく。曲射砲は、必ず多少の誤差があって、 続けて同じ場所には落ちない。それで古参兵はいま曲射砲がえぐったばかりの熱い窪みから 窪みへと兵士を導いていくのだが、最後に古参兵が飛び込んだ熱い窪みから早く来いという手の合図 がある。飛び出そうとした瞬間、落ちるはずのない砲弾が古参兵を直撃し、いま呼んでいた 肘から先だけが、吹き上げる砂の壁の中をゆっくり昇って行くのが見えた。
「折れ曲がった直線」前方の的に向かって、勇敢にうち続ける兵士の尻に的の弾丸が当たる。 後ろから撃たれるとは何事だと、軍医からいわれ、上官からも責められるが兵士は絶対に的に尻を 向けた覚えはない。卑怯者の烙印を押されたまま、治療もそこそこに無理に前線に送られ、傷が悪化した兵士は 一人崩れ果てた孔子廟の中で死んでいく。実は彼が受けた銃弾は、 建物に当たって跳ね返った弾丸だった。
「狙撃兵」ジャングルの孤島に取り残された兵士35名。闘う目的もないまま、兵士たちの士気高揚と体力維持 のために、島の中を徘徊している。的のゴミ捨て場から廃棄されたシャツや下着、乾パン類を手に入れたりしている。 ある日、突然的の機関銃射撃を受けて戦友が死ぬ。ほかの兵たちも隠れる場所がない。 中に狙撃兵が一人いる。彼の狙撃の腕は抜群である。岩場に狙撃の場所をとり、機関銃を操る若い 敵兵に照準を合わせる。彼の狙撃銃には癖があって、照準鏡のなかで標的少しずらさなければならない。 いつものようにずらした照準鏡の中には、澄んだ蒼空になる。いつもそうして撃ってきたのに、 このときに限って、蒼空を見ながら引き金をひくという行動がとれない。敵に対する憎しみはない。 ただ、かれは自分の撃つべき対象を見ないと引き金が引けなくなっている。照準鏡をもどし、それでは当たるはずのない 薄っぺらな敵の顔に向かって引き金を引く。
○刺賀秀子「子供時代」これも三つの話が語られているが、内容は子供時代の体験。 いつもながら、この作者ならではの文章力を感じさせる。
1、は、小学一年生のときのクラスメートの死。鉄道自殺。が語られる。(クラスメートに、「丸木さんていう人、知ってる ?」って訊いたとしても、「そんな人知らないわ」と、おそらくだれもがいうだろう。なぜわたしは、いまでも丸木さんの 死を忘れないのだろう。七歳のほんの一時期しか会わなかった人なのに。それも特に仲良しというわけでも、忘れられない ようなことを一緒にやった覚えもないのにである。)
2,品がよく優美なクラスメートと帰りたいために、遠回りをする。クラスメートと別れた後知らない道ばたで、ロバを見る。 (行きものの哀しみをわたしがかんじはじめたのは、炎天下の路上で見た、荷役のロバがおこりだったのだろうか)
3,日本人離れした背の高い美しい転校生。なぜか担任教師からはつらく当たられる。この少女は資産家の家の離れに 暮らしている。母親はこの家の娘だが、親の許さぬ船乗りと結婚したため苦労しているらしい。どうやらクラスメートの 父親は外国人らしい。母親が海辺に住む乳母を訪ねるというので、ふたりでついていくのだが、母親は乳母の家には行かず、海の中へ入っていく、クラスメートが呼び戻そうとして 叫ぶ。母親はやがて濡れた裾を引きずって戻ってくる。このクラスメートからはいろいろ主人公の知らない 外国の文学書を見せてもらったりするのだが、一年たたずにこのクラスメートは転校してしまう。
○水野肇「影」この主人公は大学受験生の頃、父の営む山中の旅館に女子大生が教授に引率されてゼミの合宿にくる。 女子学生の中に、美和がいる。主人公の高校生は、この美和にひきつけられていくが、この女子大生には特異な 性癖があり、ここで美和の秘密を知ると同時に、美和と忘れられない関係を結ぶが、その夜美和は自殺してしまう。 高校生の方はそれ以来、美和の記憶から自由になれない。
( 2002年2月)今回取り上げたのは
「星座」69号
2002年3月刊
発行所東京都目黒区
○豊田一郎「性と愛」まことに即物的ともいうべき題名。テーマがこの題名に端的に表れ ている。性と愛、この似て非なるふたつは、考えてみれば不思議な関係にある。ここに描かれている のは、まったくタイプの違った三人の女である。会話もなく性に打ち込み、すめばさっさと帰って いく謎の女。絶世の美貌をほこり、男たちから鑚仰されることだけを求める別居中の妻。そして ひかえめに男につくそうとする妻の妹。三人の女を描き分けることで、男と女の不思議、性と愛の 微妙な食い違いをスリリングに提示している。
「じくうちU」13号
2002年1月刊
発行所横浜市
○大久保督子「やわらかな土の匂い」連載三回目、今回でこの長編小説は完結した。 この作品はいわば帰巣の物語というか、故郷回帰の物語というのか。故郷の村に一人で暮らす 老いた母。ちょっとずつ問題を抱えた夫、娘、息子が、やがてそれぞれの問題を解決して、 母の光江、語り手である主婦の麻子のいる田舎の家に集まっていく。ほのぼのとした幸せの予感が 伝わってくる。
「時空」19号
2001年12月刊
発行所横浜市
○草原克芳「チョコレート館」メルヘン風なタッチは、最近のこの作者の 特徴かもしれない。その意味で、この作品は読む楽しさを与えてくれるし、一気に読ませる力を 持っている。描かれている世界は、インターネットのホームページという、世間的にも現代の 流行の先端を行くもので、素人の作るホームページの抱える夢と現実を笑いと風刺とペーソスを こめてたっぷりと見せてくれている。
この作品は「同人雑誌の作品」に転載してあります。
( 2001年10月)今回取り上げたのは
「小説家」108号
2001年12月刊
発行所国分寺市
○石井利秋「頭に棲む虫」妻と恋人に去られた小さなレストランの マスター。この頃、店の前を去っていった恋人に似た女がよく通り過ぎる。 その日も、女が通り過ぎるが確認はできない。閉店後一人で夕食をとって いると、女が店にやってくる。結婚して去ったはずの女が、男と別れて戻って きたと知って男は喜ぶが、そのとき分かれた妻から電話がかかってくる。 孤独、意志疎通の困難。